考えられる物事のキャパについて

人には考えられる物事のキャパがあるように思う。考えるとは、自分ごととして捉えることであるとも思う。

普通の人は、仕事のことや日々の生活のことなどが考えられる半径であるように思う。キャパの小さい人は、仕事のことも考えられなかったりするため、側から見るとひどく無責任にみえる。

以前、仕事ができ、社内の人望も厚い先輩がふと「もっと早く転職考えればよかった、もっと早く海外いけばよかった」と言っていた。聞いた当時は、何故仕事について深く考えられるこの人が、自分の人生のキーポイントである転職ひいては人生についてよく考えられなかったのだろうと思った。

しかし今は、何となく腑に落ちる。きっと、その人のキャパは実は仕事が限界で、自分の人生やキャリアについて考えるキャパがなかったのだろう。

自分の仕事や人生について、自分ごととして捉えることが、一番重たく、真剣に考えるのは辛い。自分もそれが苦手であるので共感するが、そろそろ考えるタイミングの一つの期限にきているような感覚がある。